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生活

3.11 仙台市中心部で被災。生後7カ月の娘・妻と過ごした当時の記録

2016年3月11日

2011年3月11日から今日で5年が経ちました。

あの日わたしは仙台市中心部で被災しました。当時、長女は生後7カ月のまだまだ小さい赤ちゃん。

そんな娘・妻と家族3人でともに過ごした東日本大震災当時の状況を記録しておこうと思います。

特に被害のひどかった沿岸の方々に比べたら無いに等しいくらいの被害ではありますが、当時を思い出しながら記載していきたいとおもいます。


5年前の3.11も今日と同じように晴れていて寒い一日だった

2011年3月11日の仙台の気温は、最高:6.2℃・最低:-2.5℃。特別寒い一日というわけではありませんが、まだ3月いつもと同じようにまだまだ寒い一日でした。

本日2016年3月11日、仙台の予想気温は最高6℃・最低:0℃。当時と同じような気温です。今日も寒いです。

3.11 偶然有給休暇を取得していたわたし。

震災当日、わたしは有給休暇を取得していました。有給休暇取得の理由は正確には覚えていませんが、たしか役所に用事があったためだった気がします。

その日は有休のため朝から家族で過ごしていました。午前は予定していた用事を済ませ、その後は仙台市の中心部に繰り出し、いつもの休日のように家族3人で食事や買い物などを楽しんでいました。

仙台駅をでると、下写真のようなアーケードが続きます。いろんな商店街が並び多くの人でにぎわいます。当日もこの辺りをふらふらとしていました。

写真:Googleストリートビュー

そして、その日の午後は妻が"まつ毛エクステ"を予約していました。当時生後7カ月の長女の育児に追われる中、気晴らしにとまつ毛エクステへ。

妻のまつ毛エクステの予約は14時。14時少し前に妻と別れわたしは娘と二人近所のカフェへ行きました。アーケード内にあるサンマルクカフェへ(写真右)。最初は今いる場所から一番近いカフェだったドトールに行こうとしましたが、満席のため断念し少し歩いたところにあったサンマルクへ。


写真:Googleストリートビュー

サンマルク店内で地震発生。生後7ヶ月の娘とともに。

当時娘は7カ月。まだ歩ける月齢でもなく、ベビーカーに乗せるとあまり時間が経たないうちに嫌になり泣いてしまう始末(結局抱っこしなければいけなく、ベビーカーが荷物になる)というのが常でしたので、その日は抱っこひもで抱っこしていました。

その日はわたしが1日中抱っこでした。カフェに入った時も同じように抱っこしていました。そしてちょうど娘は爆睡中。

この時点で14時30分くらい。

カフェに入ってわたしはアイスココアを注文しました(普段カフェに入ることは殆どないため何を注文するか結構迷った気がします。結局ココア…)。

お昼は食べた直後だったので飲み物だけを注文し、1回の2人掛けのテーブル席へ行きました。片方はソファーになっていたので、そこへ抱っこしていた娘をおろしくつろいでいました。くつろぐといってもスマホをいじるくらいだったと思います(当時はAndroidのスマホを使用していました)。

そして14時46分、地震発生(なぜか被災直後も、地震きたの14時46分だったなというのはしっかり記憶していました)。

最初は「あっ、地震だ」という感じで娘を抱っこして様子見。いっこうに揺れは収まりません。次第に揺れが強くなり、テーブルが動きはじめあわてて飲みかけだったココアを持ち上げました(なぜかとっさにココアを救済していました…)。

カフェ内のテーブルやイスは激しく動き回っています。わたしのココアがのっていたテーブルもあっちこっちに移動していました。でもテーブルが倒れるなどはなかったのでその点では危険にさらされることはありませんでした。電球がおちてくるとか上から物がおちてくるなどもありませんでした。(あくまでわたしがいたカフェ店内1Fに関してはですが)

(あっ、この時も娘は爆睡中です。)

地震発生直後に停電。2Fから多くの人が駆け下りてきた。妻とは連絡がとれず。

地震発生から数十秒後に店内の電気が消えました(停電)。真っ暗になり店内を照らすのはカフェ入口から入ってくる外の光だけでした。それでも最低限周りの状況を確認するには十分な明かりでした。

時間とともに店内2Fにいるお客さんの悲鳴が大きくなっていったのを記憶しています。1Fにはわたしの他に数名のお客さんしかいなく、悲鳴などもなくわりと落ち着いていました。

揺れはどのくらい続いたんでしょう?体感的に3分くらい続いたんじゃないかなと思うほどでした。ほんとうに長かったです。

そして揺れがおさまりました。すると2Fから「ドドドーッ」と人がはしっておりてきました(本当にドドドーッという音とともにです)。

その時わたしはまだ店内です。とっさに、「今外出るのも危険なんじゃないか?」と思いしばらく店内に。

まずは残っていたココアをすべて飲み干しました。そして抱っこしていた子供を、しっかりと抱っこ紐にのせ準備をしました。お店を出る前に妻に連絡を、と思い携帯で妻へ電話。当然電話はつながりhせんでした。メールを送ることもできません。ここで一旦妻へ連絡とることを中断しました。

店の外へ・・

この時点でたしか15時ちょっと過ぎくらいだったと思います。

店の外へでると、アーケード内はたくさんの人であふれかえっていました。泣きながら抱き合う人や一生懸命携帯で連絡をとろうとする人なども。また美容室でパーマ(or カラー)施術中の状態で避難してきた人もいました。

そして外にでて最も目についたのは、大量のガラスの破片。アーケード内の多くのお店の窓ガラスが割れて下に落下した様です。見上げると2F以上に位置する窓がたくさん割れていてその破片が店沿いに沢山落ちていました。地震発生とともに店外に出ていたら非常に危険でしたね。

そして妻を探しに移動開始です。「地震が起きたら○○に集合ね」なんて決めているわけもないので、妻の行先はカフェのすぐ近くで大体の場所はわかっていたので、別れた地点まで行きそこで待とうと思いました。

歩き出すとすぐに、妻が向こう側から歩いてきました。(おそらく)まつ毛エクステで一緒だった人(全く知らない人)と一緒に歩いてきました。結構あっけなく合流することができました。よかった。

3時間かけて歩いて帰宅

そこからはどうやって帰宅するという話。

普段は仙台市の中心部へ繰り出すときは圧倒的に車が多いです。しかしなぜかこの日は電車で外へ(どうして電車にしたか全く覚えていませんが)。

もちろん電車は動いているわけもなく、タクシーもつかまるかわからない状況。あるいて帰宅するしかありませんでした(歩いて帰ると2~3時間程度かかる)。

帰宅途中、普段見ることはない様々な光景を目の当たりにしました。

電気が通っていないため、コインパーキングから車をだせずにいる人がたくさんいました。ロック板が上がったまま下がらないために車が出せない状態です。数人がかりでロック版を無理やり踏んでおろし出庫させようとしていました。

そして道路に舞う泡・泡・泡。最初は何だろう?と思いました。スプリンクラー等消化設備が作動したためなんですね。

コンビニからはものが消えていった

地震直後は何がどうなっているのかは全くわかりませんでした。これからどうなるのかも。

信号機も消えている状況なのでとりあえず今日(3月11日)は停電したままだろう程度に思っていました。とりあえず帰宅途中にあったコンビニでその日の夜ご飯を購入。

地震発生して1時間程度しかたっていませんがコンビニ店内からはほとんどものがなくなっていました。

突然の雪

そして歩き始めて1時間くらいたったころでしょうか。雪が降り始めました。3月に雪。仙台ではなかなか珍しいです。しかもだんだんと雪の量も増えていきます。ただでさえ徒歩で疲れ切っている体に、雪・寒さで追い打ちをかけてきます。

生後7カ月の子供のことが一番心配でした。抱っこ紐で抱っこしている子供にも雪がたくさんつもり(積もってははらっての繰り返し)、風邪を引かないか心配。

3時間近く歩きようやく自宅(当時はアパート)に到着しました。

自宅到着。被害は状況は?

あれほどの酷い揺れだったので自宅も大変なことになっているだろうと思い、家にはいりました。

当時は賃貸・アパート暮らしでしたので、狭い部屋にごちゃごちゃといろんなものがありました。部屋に入ると地震でごちゃごちゃしたのか元から部屋がちらかっているだけなのか一瞬わかりませんでし。

しかし、さすがにあれだけの大地震、我が家も多少なりとダメージをうけました(色んな方の話をきいたら我が家なんて全然たいしたことはありませんが)。

最初に目に入ったのは、リビングのテレビボード。46型のプラズマテレビがのっていてテレビボードもそこそこでかいもので重量もかなりのものだと思います。

1mほど動いていました。幸い上にのっていたテレビは倒れることなく無傷でした(知り合いにはテレビが倒れて画面にヒビがはいったという人も結構いました)。

そしてテレビボードの脇においてあるスピーカー。1.2mくらいの高さがあり一人でぎりぎり持てるくらいの重さのスピーカー。こいつも1mほど移動。またまた幸いにもスピーカーは倒れることなく(細長いので倒れてもおかしくないのですが)無傷。

食器棚は倒れ。調味料が散乱。

そして我が家の一番の被害は食器棚。当時の写真を載せておきたいと思います。

右奥の写真に移っていない部分にガスコンロなどがあります。その向かいにおいてある食器棚(写真左の白い物体)。倒れていました。

向かいに位置する換気扇にぶつかったため、写真のような中途半端な角度に倒れています。

そして食器棚の手前のラックには調味料などを並べていたため、それらが散乱。一番掃除が大変だったのがこの中にあるはちみつ&ラー油・・・。

落下したうえに、中身が床にこぼれていました。かなり後始末が大変。はちみつのべたべたとラー油の油と。

と色々落下したりはしましたが、この程度の被害ですんだ我が家はよかったと思います。その後の調査からもアパート自体は一部損壊程度で、ダメージも少なかったようです。

水が出ない。電気がつかない。ガスが使えない。

震災当日は多くの人がこのような状況だったとおもいます。我が家もそうです。

帰宅後すぐにライフラインの確認をすると、水はでない・電気はつかない、ガスも使えないという状況。水に関してはお風呂にもお湯(水)を張っていない状況でした。

水がないと困るのがトイレ。一般的なタンクがついた洋式といれでしたので1・2回分はこれで大丈夫です。

お湯がない・・・。子供のミルクが作れない

当時娘は生後7ヶ月。ミルクを飲んでいました。そして徐々に離乳食を・・・、という時期でした(ママのおっぱいは既に卒業した後。色々ありママはおっぱいがでなくなったため強制的に終了)。

ミルクを飲ませてあげたいけどお湯がない。水も出ない、ガスも使えないという状況でしたのでそりゃそうです。幸いお出かけ用に用意していたお湯の残りがあったのでミルク1回分くらいは用意できました。

どうしたらよいかわからない・・・、とりあえず避難所へ。

このままだとお湯がなく子供のミルクも作れない、ということで妻と相談し近所の避難所へ行こうと行動しました。

この時で19時くらいだったと思います。

近所(といっても車で5分くらいのそこそこの距離)の小学校まで車をはしらせました。この時点で車のガソリンの残りも少しで航続可能距離100km程度。

避難所につくとそこには人がたくさんいました。ただし、あたりは真っ暗で避難所の中も何がどうなっているかわからない状況。ここにいてもダメだなと思い再びアパートへ帰宅(ガソリン代がもったいなかった・・・)。

携帯は電池切れ。情報収集もできず。

当時はAndroidのスマホを使っていました。スマホが普及し始めて間もないころ(?)ということもあり使っていた機種も動作は超もっさり&電池はすぐなくなる、というものでした(夫婦どちらの携帯も)。

そのため当日も早々に携帯の電池は切れてしまいました。

情報収集の手段として、車のカーナビのワンセグテレビがありました。ただこの先どうなるのかわからない状況・ガソリン残量も少ない、ということもあり無駄にエンジンをかけることも控えました(携帯の充電も車でできましたがそれも控えました)。本当に必要な時にしよう、と。

また少しだけワンセグでニュースを見ましたが画質が悪すぎてよくわからないというのが正直なところでした。津波の映像とかも流れていたようですが、ワンセグ画像だとさっぱりなにが起きているのかという感じでした。今はカーナビでもフルセグが主流なので問題ないですかね。

避難所から帰宅すると・・・、水がでる!ガスが使える!

(結果無駄足になってしまった)避難所から帰宅すると、なんと水がでました。そしてガスがつかえました。これで娘のミルクが作れる!(本当はガスはしっかりチェックされた後に安全と判断されてから使うべきだったんだと思います)

妻とともにおもわず「おぉーーー」とそれほどテンション高くないリアクションをとりました。

当時のアパートはプロパンガス。復旧が早いのはプロパンのようですね。会社同僚の都市ガス利用者のところは復旧まで1ヶ月ほどかかったという人もいました。普段はガス代がめちゃくちゃ高くてよくないことばっかりだったプロパンガスもこの時ばっかりはよかったと思いました(今までの高額なガス代金もこれでチャラというかんじです)。

このように水・ガスが使えるようになったので、とりあえずの生活は大丈夫となりました。食料も保存がきくものが割と残っていたので。

3.11 当日は早めの就寝

電気もつかないということもあり、家の中はもちろん外も真っ暗な状況でした。部屋の中では自分の結婚式の時に使用していたキャンドルが活躍しました。

スマホも電池切れ、テレビも見れない、真っ暗ということでその日は早々に就寝しました。外は雪が降るほどの寒さで、部屋の中も結構冷え込んだので家族三人身を寄せ合い温めあいながら寝ました。

3日後くらいに電気が復活。3日ぶりのお風呂

正確な日数は覚えていませんが、(たしか)震災の3日後くらいに電気が復活しました。

お昼くらいに何気なく蛍光灯をつけてみたところ明かりが…。さすがに普段リアクションが薄い妻も「おぉ!!!ついた!」と、テンション高めで妻と二人で喜びました。

電気がつき待ちに待ったお風呂(シャワー)に入ることができました。3日もするともう限界が近づきつめたい水で頭だけでも洗おうかと思っていた矢先の電気復活。うれしかったです。気持ちよかった。

買い物は2時間待ち

数日たつと家にあった食料もそこをついてきました。近所のスーパーへ歩いていき買い物を。

まだ店内には入ることができず、お店の外に臨時で商品が並べられていました。多くの人が並んでおり、2時間ほど待った記憶があります。そこで娘の離乳食や飲み物を購入しました。また自分たちが食べられるようなものも何点か購入。(当たり前ですが)品ぞろえは悪く、必要なものを必要なだけ購入することはとうていできません。

そして値段もかなりあがっていましたね。前にいたおばちゃんはカゴ一つにいっぱいつめこんで3万円ほどの買い物をしていました(通常なら3万円もしないくらいのものでしたが)。

今の生活で、こうやって不自由なく欲しいものが手に入るのがどんなにうれしいことが身に染みて体感しました。

また別の機会には近所のコンビニへ。たまたまコンビニを通ると開いていたので食料品を求めてお店にはいりましたが店内はすでに何もない状態。何も買わずに手ぶらのままお店をでると、見ず知らずのおばちゃんが「どうしたの?なにほしいの?何か困っていることあるの?」と声をかけてくれました。

小さい子供を連れたわたしたちを見て心配して声をかけてくれたようです。やっぱり人って温かいです。とてもうれしかった。

まだ家に娘の食料・飲料など若干のストックはあったので、その場ではありがとうございます、とだけ言って去りました。ほんとうれしい出来事でした。感謝です。

徹夜で8時間並んだガソリンスタンド

前述のように車のガソリンがあまりない状態でした。震災の影響でガソリンを入れることもできない状況。緊急車両優先のスタンドがほとんどでしたのでわたしのような一般市民はなかなかガソリンは入れられませんでいた。

偶然通りかかったガソリンスタンドで張り紙をみました。「3月○日 ○時オープン(なくなり次第終了)」といった内容。

小さい子供を連れての歩き移動やバス・電車移動にも限界がありましたのでガソリンをいれることにしました。

その前に他のガソリンスタンドの状況を見ていたので、徹夜で並ばなければガソリンは入れられないというのはわかっていました。夜の11時、車に毛布を積み、PSP(当時モンハン2ndGだったかな?をやっていたので)を持ち、スタンド前に並びました。それでもわたしの前には結構な数の車。ただ確実にガソリンは入れられるな、というくらいの台数だったためそのまま並びました。

当然ガソリンは無駄にできない(残りもすくない)ので、エンジンを止めて朝が来るのをまちました。寒かったです。非常にさむかったです。時間つぶしにともっていったPSP。PSPを握る手が寒すぎて5分もせずに断念しました。毛布にくるまりひたすら寒さに耐えながら朝をまちました。

無事にガソリンを入れることができました。たしか一人2,000円分だったと記憶しています。その後(数日後)、車でほかの場所へ移動しガソリンを満タンにすることができました。ガソリンがあるおかげで、ガソリンをいれることができた。

やっぱり車・ガソリンって生活には非常に重要なものだなと再認識しました。

ガスが使用できるまで1カ月かかった地域も…

前述のように我が家はプロパンガスで、地震の後もすぐにガスは使用できました。それに比べて都市ガスの復旧にはかなり時間がかかったようです。

知人の自宅(マンション)ではガスが使用できるまでに1カ月かかったところもありました。もちろんその間はお風呂にもはいれません。お風呂が使用できるようになった知人を頼ったり、時には水で頭を洗ったり・シャワーを浴びたりといった過酷な状況でもあったようです。

震災1カ月後の多賀城市

親戚が多賀城市に住んでいることもあり、震災のちょうど1カ月後くらいに宮城県多賀城市周辺へいきました。下地図の赤丸あたりが多賀城市。

見てのとおり海の近くで、多くの方が津波の被害を受けた地域でもあります。(幸いにも親戚は無事でした。津波の被害も皆無。よかった。)

震災1カ月後に訪れた多賀城市の様子を数枚掲載したいとおもいます。
※写真はすべて助手席に乗っている妻が撮影したものです。

このあたり一帯も津波がきて被害を受けたところのようです。

道路の脇にはがれきや車などが放置されたままでした。

下写真奥の建物(ガソリンスタンド)、建物の壁にうっすらと横線が入っているのがわかりますか?人の胸くらいの高さでしょうか?海からは結構距離がある地点でしたが、それでもこんな高さまで津波がきたようです。おそろしいです。

車がひっくりかえったままの状態です。

さいごに

あの大地震からもう5年がたちました。当時生後7カ月だった娘はもう5歳です。元気にかわいく成長しています。そして2人目の娘もうまれ現在2歳。二人ともとても元気です。

幸いにも我が家は大きな被害もありませんでした。

あの日・あの時経験したことを忘れることなく、わが子へも伝え、万が一の時に備えるということが大切かなと思っています。

当日爆睡していた娘、まだ産まれていなかった娘、もう少し二人が大きくなったらしっかりと伝えようと思います。またいつあのような大地震が来るかもわかりませんからね。

※こちらに参加させていただきました。
≫ 震災から5年、いま応援できること。 - Yahoo! JAPAN


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